映画・テレビ

失われた映画館たち『二子東急』

その6
◆映画館名『二子東急』
◆最寄駅 東急大井町線・田園都市線・新玉川線「二子玉川園」

いま、「二子玉川」の駅周辺では再開発が進んでいます。あまり、二子玉川には用がなくて、行く機会が少なかったのですが、昨年、ヒーリングスペースをオープンしたので、11月~1月にかけて、税務署および青色申告会に行くために同地を訪れました。

二子玉川には、以前「二子玉川園」という遊園地があり、中学生の頃に一度だけ行ったことがありました。サーカスを観たのと、ジェット・コースターに乗りました(たぶん、これからサーカスとジェット・コースターには行くことはないだろうと思うので、これが生涯唯一のサーカス&ジェット・コースター体験だろうな)。
当時は、駅名も「二子玉川園」でした(路線名も渋谷―二子玉川園間は「新玉川線」という名称だったんです)。

「二子玉川園」(遊園地)のそばには、昔『二子東急』という映画館がありました。
私が行ったのは3回だけです。たぶん、すぐに閉館になってしまったんだろうな(あまり、混んでいたという記憶はなかったし)。

1回目は1982年2月7日
上映作品はポール・ニューマン(引退してしまいました)の『アパッチ砦ブロンクス』とフランクリン・J・シャフナー監督の『スフィンクス』(フランク・ランジェラは『スーパーマン・リターンズ』『グッドナイト&グッドラック』で健在ですね。2作ともほとんど同じような演技だったけど。主演のレスリー・アン・ダウンはいまは名前も聞かないですね)。
2作とも、ほんとにつまらなかった。『スフィンクス』は、ジョン・ギールグッドやモーリス・ロネも出ていたので、いま観れば、それなりの楽しみ方もできるかもしれないけど……)。

2回目は1983年7月26日
上映作品は『炎のランナー』とヘンリー・フォンダとキャサリーン・ヘップバーンの『黄昏』。
『炎のランナー』は観る機会が多く、この時が3回目。監督のヒュー・ハドソンはこの次の『グレイストーク』(ターザン映画)のあと、全くの泣かず飛ばずみたいですね。何があったのかわからないけど、急速な才能の衰えなんでしょうか。上品な演出ができる数少ない監督なのに。出演者のイアン・チャールスンとブラッド・ディビスはAIDSでなくなっちゃうし。元気なのは、コーチ役のイアン・ホルム(『ロード・オブ・ザ・リング』のビルボ・バギンズなど)くらいかしら。
まだ、高校1年生だったので、『黄昏』を観たときは、ヘンリー・フォンダとキャサリーン・ヘップバーンの素晴らしさは理解できなかったです。機会があればまた観たい作品です。

3回目は1985年3月12日
上映作品はウッディ・アレンの『カメレオンマン』とジャンカルロ・ジャンニーニ(『ハンニバル』『007/カジノ・ロワイヤル』)主演の『セブン・ビューティーズ』。
『カメレオンマン』はアメリカの知識人(スーザン・ソンダクなど)が本人役で出てきて、インタビューに答えたりするのですが、当時は知識不足で、その面白みが理解できませんでしたね。
『セブン・ビューティーズ』は重喜劇とでもいうのかしら、戦争中、必死に生きようとする男をジャンニーニが好演していました。

3回しか行かなかったのは、自分の好みにあう作品があまり上映されなかったからだろう。
いつの間にか閉館していたって感じでした。

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失われた映画館たち『銀座並木座』

「いまは亡き映画館たち」を「失われた映画館たち」に改題しました。

その4
◆映画館名『銀座並木座』
◆最寄駅 JR「有楽町駅」、地下鉄「銀座駅」

今年の9月で、『銀座並木座』が閉館して10年になるそうです。プランタン銀座の近くのビルにあった有名な日本映画専門(一度、チャップリンの『ライムライト』を上映していた記憶があるけど)の名画座でした。
ビルの1階に受付(冬は開場まで待っているのが寒かったです)やトイレがあり、受付脇の階段を降りると、狭いロビー(というか待合場?)。映画館自体も100席に満たない小さな小屋でした。
特徴(欠点)としては、館内に太い柱が立っていること。映画館は数あれど、館内に柱が立っていたのは『並木座』くらいではないだろうか? 
それと、スクリーンの生地が荒いのか、生地のついているポツポツが少し気になりました。ただし、これは、私がいつも一番前(スタンダードサイズの時)か、二番目(ワイドスクリーンの時)に座っているから気づいたのかも知れせん。座席とスクリーンの距離が最も近かった映画館の一つでしょう。

プログラムは古い日本映画が中心。意欲的なプログラムというのはほとんどなく、マンネリという人もありますが、古い日本映画の入門として、私にはとても思い出深いものがあります。

一番初めに行ったのは、1985年1月3日。高校2年のお正月でした。上映作品は小津の『東京物語』と『お早よう』。初めての小津でした。「これで、小津の大ファンになりました」とはいかず、高橋とよが笠智衆と話す冒頭のシーンで、非常に違和感を感じ(ある意味ショック状態だったのでは)てしまい、最後まで映画に乗り切れませんでした。笠智衆と東山千栄子の人のいい老夫婦も、高校2年生の私には、人が良すぎるような感じがしてしまいました。その時は、平凡な『お早よう』のほうが、気楽に楽しめたという印象がありました。小津の特集(並木座では同じ監督の作品を4週くらい続けで上映することが多かった)を全部行こうと予定していたのですが、結局その時は、行かず。次に小津の作品に触れるのは1年半くらいあとでした。その時も『並木座』で、『麦秋』と『晩春』の2本立て。『麦秋』で小津のファンになりました。

高校生までは日本映画はほとんど見ていず、大学に入ってから徐々に『並木座』と『文芸坐地下』中心に、日本映画を見て、映画の視野を広げていきました。
『並木座』で初めて見てファンになった日本の監督、俳優は、

黒澤明&三船敏郎。1985年3月10日。『隠し砦の三悪人』と『椿三十郎』。黒澤のダイナミックな演出と三船のパワーに惚れました! 三船はその前にスピルバーグの『1941』を観ていたけど、実質的には『隠し砦の三悪人』が最初。馬上の決闘シーンは何度見ても圧倒されます。佐藤勝の勇壮なテーマ曲も大好きだ。

川島雄三。1986年6月1日。『幕末太陽伝』。併映は今村昌平の『豚と軍艦』。日本のコメディーでこれだけエネルギッシュな作品はほかにないだろう。フランキー堺の熱演もあり、何度見ても元気をもらえる作品だ。今村昌平はあまり相性がよくないらしく、好きなのは『盗まれた欲情』『うなぎ』などで、今平のファンが好きな作品とはかなり違うのではないかしら。

伊藤大輔&阪東妻三郎。1986年8月15日。『王将』。併映は山本嘉次郎の『ハワイ・マレー沖海戦』。『王将』は私にとって、伊藤大輔と阪妻の最高作。戦後すぐの作品ということもあるのか、熱い情熱を感じる作品だ。今年はフィルムセンターで伊藤大輔の特集を組むようで楽しみだ。

木下恵介&高峰秀子。1986年9月4日。『二十四の瞳』。併映は浦山桐郎の『キューポラのある街』。木下恵介との出会いは、この前の高校の映画鑑賞会で『父よ母よ!』という不幸なものでした。正直、『二十四の瞳』も期待しないで見に行った記憶があります。『二十四の瞳』には圧倒的な感動を覚えました。感傷的とも評される木下恵介ですが、声高に反戦を主張しないことが、この作品を名作たらしめていると思います。高峰秀子もほんとうに素晴らしく大ファンになりました。

山本薩夫&三國連太郎。1987年8月17日。『にっぽん泥棒物語』。併映は谷口千吉監督の『銀嶺の果て』。山本薩夫は、骨太な社会派作品から、娯楽作品まで幅広くおもしろい作品で好きです。『にっぽん泥棒物語』は社会派作品ですが、喜劇的要素もありとても笑える作品。三國連太郎はシリアスな作品から、コメディーまで本当にどんな作品に出てても魅力的。これだけ演技の幅が広い人も珍しいのでは。最近の三國を知らない人はデビュー作の『善魔』(木下恵介監督)を観てほしい。演技は一本調子だけど、すごい美男子!(佐藤浩市なんて足元にも及ばない) 

田坂具隆。1988年8月3日。『五人の斥候兵』。併映は木下恵介の『陸軍』。いまではほとんど特集上映もされない田坂具隆ですが、『五人の斥候兵』は抒情的で上品な彼の作風があってこそ今でも名作と呼ばれるのだと思います。小杉勇演じる上官の描写は戦争美化といわれるかも知れませんが、部下を思いやるシーンは胸に迫るものがあります。

『並木座』の最後の特集上映は成瀬巳喜男でした。すべて観た作品だったので行かなかったのですが、上映案内ポスターを観て、「次は何をやるのかな」と思っていたら、閉館! 非常にショックでした。映画館自体は黒字だったそうですが、建物の建て替えで閉館となってしまったそうです。

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いまは亡き映画館たち『五反田TOEIシネマ』

その3
◆映画館名 『五反田TOEIシネマ』
◆最寄駅 JR・東急池上線ほか「五反田駅」

五反田駅から、徒歩5分くらいのところ、大きい通りを大崎広小路の方向に向かって歩くと川があるのですが、それに沿って建っていた建物に、入っていました。確か2つ映画館があった記憶があるのですが、あまり2つの区別がつきません。
いつごろ廃館になったのか、記憶がないのですが、気付いたらなくなっていた感じです。

高校生の頃によく行っていました。行き始めの頃は3本立てが多かったと思います。後半は2本立てになっていたかな。
その3本立てが、何といってもスゴい!! 
一番はじめに行ったのが1983年10月1日。フランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』『終電車』『隣の女』。
翌週10月9日。フェリーニの『甘い生活』『アマルコルド』『女の都』。
同じ年の10月30日がヨーロッパ映画で、『メフィスト』、ベルイマンの『ある結婚の風景』、『マルシカの金曜日』。
翌月の11月6日がヴィスコンティの『若者のすべて』『山猫』『イノセント』。
翌年1984年1月15日(その頃は1月15日は成人の日でした)がコメディー映画で『オー・ゴッド』『フライイグ・ハイ』とアルトマンの『MASH』。
ちょっと飛んで1984年10月28日がアンジェイ・ワイダの『約束の土地』『大理石の男』『鉄の男』。これは、どの映画も2時間40分くらいだったんじゃないかしら。順番が続編の『鉄の男』が先だったけど。
ほかにもドン・シーゲル&イーストウッドの『アルカトラズからの脱出』や、マックイーンの『ブリット』、アルドリッチの遺作『カリフォルニア・ドールズ』などもここで観ました。
大学に入ったあとも何回か行った記憶があります。ヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』『エル・スール』はここで出会いました。

かなり、ヨーロッパ映画に触れる機会を与えてくれた映画館だったといまにして思います。
フェリーニとかヴィスコンティくらいの監督だと、特集上映が行われたりするけど、ほとんど入れ替え制で、1本1500円とかいうお値段(これはこれでとても大事だけど)。学生が気軽に観る映画の範囲を広げる機会にはなっていないですよね。
今度フィルムセンターで行うジャン・ルノワールの特集も、なぜか通常の500円でなくて、1100円(高校生、大学生は900円)の特別料金なんですね。

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中学1年のお正月に、『レイダース 失われた聖櫃(アーク)』を観て、映画の魅力に憑りつかれてから約30年。観た映画は延べ5000本以上。

中学1年のお正月に、『レイダース 失われた聖櫃(アーク)』を観て、映画の魅力に憑りつかれてから約30年。観た映画は延べ5000本以上。

30年の間には、閉館になった映画館も数知れない。特に名画座と呼ばれる二本立て、三本立ての映画館はビデオ、DVDの普及もあり、かなり減ってしまった(いまは、映画館で二本立ての説明をしないと、入れ替え制と勘違いするお客さんもいるらしい)。

私が、行った映画館のなかで、閉館になってしまったものを中心に思い出を綴りたい。

◆映画館名 『自由が丘武蔵野推理劇場/自由が丘武蔵野館』

◆最寄駅 東急東横線・大井町線「自由が丘駅」

自由が丘まで、歩いていけるところに住んでいたので、中学生の頃には特によく行きました。

初めて行ったのは、1982115日。上映作品は『スターウォーズ 帝国の逆襲』『007/ユア・アイズ・オンリー』。

そのあと、『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』、『ミーン・ストリート』『タクシー・ドライバー』、『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPARTⅡ』、『レイジング・ブル』『告白』、『アニマル・ハウス』『ブルース・ブラザース』などの二本立てなど、お金のない中学生にはとてもうれしいプログラムでした。ヒッチコックの『ロープ』『ハリーの災難』の二本立てを見逃してしまったのは、いまも後悔しています(その後、映画館で観る機会が一回もないので)。

欠点と言えば、あまりきれいでなく、冬は風邪をひきそうな感じでした。

後年は、建物自体が同系列のスポーツクラブに建て直され、映画館は2階に移りました。スポーツクラブのエアロビクスとかを行っているスタジオ辺りに改築前の映画館のスクリーンがあったのじゃないかしら。

新装された多くの映画館と同じ運命をたどり、二本立てでなく、日本映画のロードショー館になり、館名も「自由が丘武蔵野館」に変更となりました(ドラえもんの時以外は、空いていたみたい)が、レイトショーなどで、マニアックなプログラムを組んでくれていました。ヒッチコックの『私は告白する』、コクトーの『オルフェ』、『砂の女(長尺版)』などなど。二本立てでなくなったので、それほど多くの回数はいきませんでしたが、スポーツクラブの会員だったので500円で観ることができたので、嬉しかったです。下のクラブで、エアロビをやっているとその音楽が漏れ聞こえてくることがあったのはいやでしたけど。

レイトショーの1か月先くらいまでのプログラムが発表されていたのに、突然の閉館になった時はすごいショックでした。それ以降、自由が丘には映画館はなくなりました。

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